知人のAさんの所ではマンション(集合住宅)の建て替えに際して屋上に降る雨を貯留タンクにためて「中水道」を作りました。その水をトイレの洗浄や庭園の散水や洗車に使うようにしたのです。
このような[中水道]を導入している公共施設は少なくないと思いますが、民間の小さなマンションでそれを取り入れたのは、注目に値します。実は、このマンションのオーナーAさんが「中水道」をあえて導入されたのは、神戸の大震災(阪神淡路大震災)で被災された経験からきています。
神戸の大震災のあの時、まず困ったのは断水によってトイレが使えないことでした。それこそ切実なことでした。その混乱と苦難を身をもって体験したAさんは、「もし中水道があったら……」と切実に考えたといいます。
一級建築士でもあるAさんは、この震災時の経験をもとに独自に「中水道」を研究設計し、自分の所有するマンションの建て替えに際し「中水道」を導入したのでした。このAさんの志しは特筆し称賛されるべきだと思います。
トイレに「中水道」を使うことへの違和感
上記のように、私は「中水道」が普及することに異存はありません。しかしその上で、トイレの洗浄に「中水道」を使うことには、少なからざる違和感を持つことを正直に告白せざるを得ません。
私がこれまで見聞してきた「中水道」の水は無色透明ではありませんでした。その事例によるのでしょうが、おおむね少し茶色がかった色がついています。便器の底の封水がそのような色をしていると一見、先の人が小便を流し忘れたかようなイメージがあります。
それを見たときに一瞬たち起こる不快感のために、理屈ではわかっても、後のトイレ使用に穏やかさを失ってしまいかねません。少なくとも私ならゆったりした気分になれないですね。
そうでなくとも、緊急時でもない限りは、私はトイレの水は清浄で無色透明であるべきだという贅沢な思いを持っています。
このような観念は私だけでは無いようで、トイレの「中水道」を拒否する人もいらっしゃいます。かのAさんのマンションでも、ある賃貸居住者が「中水道」に難色を示した事例がありました。結局Aさんの依頼で、私がその居住者のトイレの配管を「中水道」から「上水道」へ配管をつなぎ変えるために伺ったことがありました。
トイレの贅沢はゆるされるべき
トイレはそれを使用する人の心と体の健康をバックアップする大切な場所です。そこは常に清浄で心が開放されるような場所であってほしいと思います。
このような考え方は最近では随分理解されるようになり、駅などの公共のトイレも見違えるように美しくなりました。
そうですよね。トイレの贅沢はゆるされてよいと思いませんか。
PS.
神戸の大震災の時には、私たちも水道の復旧作業の応援に駆け付けました。そこで罹災された皆様のお心に触れて、逆に得難い体験をさせていただきました。ありがとうございました。
ただ、東日本の大震災に際しては、各方面から応援要請があったにも関わらず、当時健康状態が悪く、結局何の支援もできませんでした。大変心苦しく思っています。
また、東日本のみならず、熊本など各地の被災地の皆さま、阪神淡路の皆さまでさえ、まだまだ大変だとは思いますが、どうか頑張ってください。